御柱祭20100409下社・山出し・木落とし

クライマックスの木落とし
白旗の合図で上諏訪地区担当
秋宮二之御柱が木落としされる瞬間

2010年4月9日



今年の信州諏訪は、7年(数え年)に一度の「御柱祭」(おんばしらさい)年に当たり、地域全体の雰囲気ががらりと変わる。

全国津々浦々に及ぶ「お諏訪さま信仰」は、諏訪大社4社(「上社は「本宮」と「前宮」、「下社」は「春宮」と「秋宮」に分れ鎮座している)が総本社となり、全国に1万社以上の分社を持ち、七年に一度4月と5月に最大のイベントである御柱行事が行われる。

御柱は、長さ17m直径1m余り、重量10tの「もみ」の巨木16本を、深山から曳行し、神社の4隅に立てる行事である。

最大の見せ場は「山出しと木落とし」、「里曳きと建て御柱」でありこれらの行事が続く。また秋にかけては規模こそ小型になるが、地域に点在している「小宮」と呼ばれる、神社の御柱祭も続くことになり、諏訪地方はお祭り一色になる。

この行事は1200年(平安時代)以前から、子孫へ延々と引き継がれて来たもので、伝統と規模の大きさで知られている。

御柱は諏訪湖周辺の6市町村、21万人の氏子が参加する天下の大祭である。
「諏訪市」は「上社・本宮」の所在地であるが、旧上諏訪地区は「下諏訪町」にある「下社」の氏子であるため、市町村合併で編入された「上社」の氏子の地区と2分された形になっている。
しかし、この年になると何故か血が騒ぎ?帰郷しいずれかの、行事へ参加する(出来なくても願望は非常に大きい)風習がある。

今回は親戚の方々のご厚意に甘え、上諏訪地区のはっぴと腰ひも、首には御柱手拭いと御柱衣装に身を包み、実家がある「上諏訪地区の氏子」が担当する、「秋宮二」と呼ばれる御柱の山出し行事の、「曳行」へ参加することが出来た。

また、「木落とし」と呼ばれる山出し最大のイベントも目撃出来、大きな感激を体験することが出来た。

◆山出し

最大難所(曳行上)は、「萩倉の大曲」であり、細い道で長い御柱の進路を曲げる為、てこ棒の操作が頻繁にあり、2列になった曳行者は道なりに引っ張っているため、引き綱に挟まれることがあり、子供達は禁止されている場所である。

◆木落とし

木落とし坂は、最大斜度35度、長さは約100m、「上社」最大の急坂である。氏子だけ立ち入りを許された場所があり、ここで見物出来た。
御柱の通路は滑り易くするためササが植えてあり、見物者の場所は枯れた芝生になっていた。しかし、傾斜角度35度というのは想像に絶する角度であり、スニーカーではじっとしていても、風等でズルズル滑り出してしまい、一人がこければ下の人も、一緒に滑り落ちる危険性があり、写真撮影も命がけ?状態だった。
御柱では、乗り手や見物人から毎回死者やけが人がこの坂で出る為、坂の下では救急車2台が常時待機していた。
赤旗から白旗に変わるまでは儀式等ありとても長かったが、白旗に変わり木落としがスタートすると、あっという間に終了してしまった。
今日は救急車による搬送者が無かったみたいであり、皆ほっとしていた感じで長い一日は終わった。





外部リンク信濃國一之宮諏訪大社公式サイト

外部リンク信州諏訪御柱祭公式ホームページ


地元ケーブルTV局(LCV)では、御柱祭の中継と過去の御柱祭の動画(ダイジェスト版)配信を行っていますので紹介します。

外部リンクエルシーブイ御柱サイト





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